開拓の歴史(2) [雑感]
我が町・・・東区〜 昔々・・・を、ちょっとだけ覗く。。。
前回の続き〜〜〜
慶応2ねん(1866)大友亀太郎が幕府の命を受け、農夫を伴い
伏籠川のほとり(現在の北13東16付近)で開拓に着手したそうな〜
大友亀太郎は先ず「御手作場」と云われる模範農場をつくり、
さらに札幌市の基点となった大友堀の開削を成し遂げました。
大友堀の上流部分は創世川として現在も其の姿をとどめています。
現在の創世川の様子
街の東西を結ぶ憩いの空間「創世川公園」オープン
大通公園の東側にそびえる札幌テレビ塔のたもとに、
2011年(平成23年)4月1日(金)、創世川公園がオープン
札幌市の中心部を流れる創世川。2004年から実施された
「創世川通アンダーバス事業」により生まれた此の公園は、
川の両岸(東西)を繋ぎ、水と緑を親しめる交流・憩いの場として
整備されました。
明治に入ると〜〜〜
村には本州各県から移民団が相次いで入植し、部落が次々と誕生。
当時・・・此の地は、至る所に熊や鹿が出没する原生林が繁茂し、
ャチと呼ばれた湿地帯が広がるなど、開拓には大変な苦労が伴ったそうです。
しかし、多くの先人たちのたゆまぬ努力のお蔭で豊かな農地が徐々に広がり、
農業は村の主要産業となりました。
開拓当初は雑穀が中心だった村の農業もやがて、リンゴ、ブドウなどの果樹
栽培を経て、全国的に名声を得たタマネギへと其の足取りを変えていきました。
先人達の御苦労を思うとき・・・
子供を産み、育てながらの生活の大変さが身に滲みます。
やがて〜〜〜人工増加に伴い
土地区画整理も行われ、区民の足である地下鉄東豊線も開業しました。
一方では、サッポロさとらんど、つどーむ、モエレ沼公園といった
大規模施設もオープンしています。
東区は、区民と区役所のパートナーシップのもと、潤いと安らぎのある
理想のまちづくりへと確かな歩みを続けています。
東区が誕生して〜〜〜間もない頃〜札幌市に住まいして四半世紀〜〜〜
沢山の人達や子ども達の存在に支えられて〜〜〜私は生かされています。
「ありがとう!!!」 声を大にしてお礼を申し上げたいと思います〜
泣きながら〜笑った日。笑いながら怒った日。走馬燈のように〜
何時もの〜〜 私のつぶやき・・・