「天神様〜」と、云う方は・・・ [雑感]
{天神講}2月25日 梅の花の咲く頃〜だった。
(回想)
子供の頃〜
先輩の人達は、いつ頃から〜 続いていたのだろうか???
姉に聞いてみる方法が残されている・・・が?・・・
小学1年生の時〜1度だけの想い出は鮮明だが・・・ 正確性に欠く。
毎年〜 天神講のあったことを 2月25日が来ると思い出す。
多分・・・終戦前後に消滅したのかも・・・
{学問の神様=天満宮=菅原道真}
菅原道真とは・・・ 一寸調べてみたくなり・・・
概略
学問の神様
平安時代の学者・政治家・生まれ;西暦845年〜没;903年。
宇多天皇・是醐天皇に重用され、文章博士・蔵人頭などを歴任、右大臣に至る。
894年〜遺唐大使に任命されたが,生憎中国は乱世のため、建議して廃止。
901年〜藤平時平の 讒訴で大宰権師に左遷、翌々年の903年、配所で没した。
(不遇にも病死する。)
後、雷神・祟り神として恐れられたが,今では天神として祀られ、
学問の神様として親しまれる。
漢詩・和歌・書をよくし、没後、学問の神・天満大自在天神として祭られた。と〜ある。
私の〜記憶の中の {天神講}〜とは。
回り番で・・・お宿をして下さる家に集まり、国語の本を読み。歌を歌い。楽しくお行儀良く〜
早く言えば〜お勉強を学校以外のお宅で、地域の通学の仲間が〜一カ所にに集まり
集まったお宅で 五目ご飯等を頂き〜ご馳走になり〜 過ごした後〜 全員で・・・
天神様へ参詣する。
1 天神様という方は〜御名は〜 菅原道真公
学問深く〜徳高く君に忠義の こころ 篤し・・・
2 時の大臣 時平の 嫉みを 受けて 九州へ
流されたレノォ〜〜天皇を些か恨み〜たてまつらじ
2列に並び〜 大声で、暗い道を明かりを頼りに、天神様(天満宮)まで
繰り返し繰り返し合唱しながら歩いて行く。
このお歌は、誰の作?・・・何も解らないまま・・・覚えたままに〜
歌詞〜に、誤りがあるかもしれないのですが・・・
1年生の私は〜「天満宮」と書いたお習字を半紙1枚に大きく「カタカナ」で書き・・・
上級生の生徒が、「ひらがな」で書く。更に高等科のお姉さんは「漢字」で〜
代表で〜3人の 書を 天神様へ 奉納する。
小学校〜 高等科の生徒数〜約20〜30人位だったと思う・・・
毎年〜2月25日に講〜を行う習わしは、いつ頃から〜はじまったのでしょうか?・・・
懐かしくもあり、楽しみであった、夢のような・・・
遠い〜遠い〜遙か大昔の・・・記憶を辿りながら〜
忘れかけていた記憶の中から〜「天神講」を、思い出す私です。
2月25日とは、
菅原道真が誕生した日であり〜 同じく、没した日でもあったのですね〜
学問の神様に肖る意味でそうしたことを・・・
我が故郷で続いてた習わしであったという・・・私の独り言でございます。